Daniel Harding Offcial Website / Photo : ©Priska Ketterer - Archivio Ferrara Musica
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読売新聞 2006年12月5日

独特な解釈 貫く自分流

指揮界のアンファン・テリブル(恐るべき子供)の勢いは、今年も止まらなかった。欧州での活躍はもちろん、日本のオーケストラ(東京フィル)との初共演が4月に実現。10月には手兵のマーラー室内管と2度目の来日を果たし、いずれもフレッシュな快演で魅了した。

「演奏が新鮮に聞こえたって? それはうれしいけど、僕は自分のやり方で曲を解釈しただけさ」 冗談めかして、さらりと質問をかわす。だがその裏には、作品の本質を鋭く見抜く視線がある。例えば東フィルでは、第2番「復活」を指揮したマーラーの交響曲。

「僕はマーラーが持つ暗い面にひかれる。彼の作品は自らの姿を映し出す。どんな芸術の形態も、しばしば、最も美しい姿は最も暗く悲観的な要素によって引き出される、と僕は考えているからね」

これまで振ったマーラー作品では、最晩年の交響曲「大地の歌」に一番魅力を感じるという。10月には、モーツァルトやブラームスの交響曲などを披露した。前者では作曲当時の古楽器奏法を活用して、近年の潮流最前線を日本に持ち込んだ。

「それぞれの音楽に対して、確固たる意識を持って指揮をしている」から、作品固有の様式には特に敏感。例えばビブラートを抑えた奏法の採用も、「どのような種類のビブラートを何回。どんな風に使うのかを、一つ一つ意識的に考えた上で決める」という。

それがコンビを組むマーラー室内管が相手だと、隅々まで指揮者の意思が行き渡り、音の分節法や歌い回しでの独特な解釈を含め、驚くべき効果を上げる。「ノン・ビブラート奏法は、サラダをおいしくするソースのようなもの。何にでもトマト・ケチャップをかけるのではなくてね。ビブラートも正しい場所で正しくかければ、美しくなる」

近頃はオペラの指揮も軌道に乗り、オーストリアのザルツブルク音楽祭やイタリアのミラノ・スカラ座など、大舞台に続けて登場している。「オペラの準備には、すごく時間を取られる。また逆に、じっくり時間を取りたいとも思っている」と、構えは慎重だ。

今夏のザルツブルクではモーツァルト「ドン・ジョバンニ」でウィーン・フィルを振った。「モーツァルトは、それまで静的で動きが少なかったオペラに、ドラマチックで、複数の人が一斉にそれぞれの感情を発露する新しい形を作り出したんだ」と夢中な様子。

「僕はまだ30代。オペラとコンサート、両方できることが"栄養"になる」 この才気縦横な若者がどこまで大化けするのか、誰にも予想がつかない。

宮下博
朝日新聞 2006年9月29日

若き行動派、世界を刺激

小さく、細い体が聴衆をぐいぐい作品の核心に引き込んでいく。繰り出されるのは思い切ったテンポ設定や強弱の対比だ。顔にあどけなさの残る31歳ながら、クラシック音楽の世界で今最も刺激的な若手指揮者は、ミラノ・スカラ座、ザルツブルク音楽祭と、行くところ常に話題を呼び起こす。

英国マンチェスターの音楽学校で学んでいた15歳の時、仲間とアンサンブルを作り、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の上演を計画した。学校側の反応は「君らには早すぎる」。そこで、当時バーミンガム市交響楽団音楽監督だったサイモン・ラトル(現ベルリン・フィル芸術監督)に手紙を送ると、「その年でこんな難曲に挑むなんて…」という励ましが返ってきた。

ラトルはリハーサルに招き、指揮台に立たせてくれ、才能にほれ込んでアシスタントに指名した。数年後、今度はベルリン・フィルの芸術監督だったクラウディオ・アバドのアシスタントを務める幸運にも恵まれた。以後、シンデレラボーイを地でいく活躍が始まった。

「強烈な個性のラトルは僕にとって師そのもので、すべてを吸収しようと必死だった。対照的にアバドは控えめで静かな人。彼をつぶさに観察し、同じ空気を吸う中で、音楽が体に染み込んでいくようだった」

率いるマーラー・チェンバー・オーケストラはエクサンプロバンス音楽祭やルツェルン音楽祭などの座付きも務める。団員の平均年齢は約30歳。幅広い作品に挑む実験精神が持ち味で、進化の途上にある。

「決して世界最高のオーケストラじゃないが、エネルギッシュかつ情熱的で可能性に満ちている。自分の創造力のすべてを彼らを通して具現化できる」と、全幅の信頼を寄せる。日本公演の演目は、モーツァルト生誕250年を記念して39、40、41番の後期3大交響曲だ。

「彼の作品を演奏するたびに新しい発見がある」と意気込む半面、商業主義も絡んだモーツァルト・イヤーの狂騒には覚めた視線を向ける。「神の子」として神聖視する風潮が腑に落ちないのだ。

「赤ワイン好きが多いのに、『赤ワイン年』なんてない。本当に好きなものはじっくり味わいたい。僕がモーツァルトと同時代に生きていたら、ビリヤードやギャンブルをしたり酒を酌み交わしたり、普通の友だち付き合いをしたい」

上坂 樹
Kajimoto Concert No.13 2006年5月

「マーラー・チェンバー」と練り上げたハーディングのモーツァルト

初来日に当たった1999年、東急文化村オーチャードホールでのフランスのエクス・アン・プロヴァンス音楽祭日本公演「ドン・ジョヴァンニ」から2005年12月、リッカルド・ムーティの辞任で音楽監督が不在となったイタリアのミラノ・スカラ座のシーズン開幕公演「イドメネオ」に至るまで、英国人指揮者ダニエル・ハーディング(1975年生まれ)の成功はモーツァルトの歌劇に彩られてきた。10代でキャリアを始め、20代でスターとなる指揮者がいないわけではないが、練習ピアニストから副指揮者、上演監督、本番指揮者へと段階を踏んで頭角を現すのが普通のオペラ界で、いきなり古典の最高峰モーツァルト、しかも話題の新演出初日の指揮を任されること自体、ハーディングへの期待の大きさを物語る。

「ドン・ジョヴァンニ」でのハーディングの指揮ぶりは、日本の音楽ファンの脳裏に、今も鮮やかな記憶を残している。モダン(現代の仕様の)楽器のオーケストラでありながら、ニコラウス・アーノンクールを嚆矢とするピリオド(作曲当時の仕様の)楽器による演奏の奏法やアーティキュレーション、フレージングを巧みに取り入れ、緩急自在、一気呵成のテンポで「円熟の頂点に立つ若い作曲家」というモーツァルトの微妙な立ち位置を的確に再現した。隙のない音楽づくりはピーター・ブルックのミニマムな演出と美意識を共有、若い歌手たちから精彩あふれる表情を引き出し、アンサンブルに血を通わせた。モダンとピリオドの対立ではなく、両者融合の下に歴史的情報に基づく演奏(HIP)を展開するとの意識はもちろん、直接の師に当たるクラウディオ・アバドやサイモン・ラトルら「アーノンクールの子どもたち」世代が授けたものだろう。だがグスタフ・マーラー・チェンバー・オーケストラの機能を徹底的に生かし、ごく自然な佇まいの中にHIPを実現する手腕では、アバド、ラトルよりさらに意識が進化した指揮者という印象を受けたのである。

2006年4月、ハーディングは4度目の来日にして初めて、日本のオーケストラを指揮した。東京フィルハーモニー交響楽団への客演で、曲目はマーラーの「交響曲第2番《復活》」。東京オペラシティコンサートホールでのリハーサル1コマを公開した後、ハーディングにインタビュー、同席した音楽評論家・ジャーナリストや一般観客の質問にも答えるという「ラウンドトーク」も企画され、筆者は司会と通訳を引き受けた。先ず驚いたのは、ハーディングが楽曲すべての細部に明確な音のイメージを持ち、それが得られるまでは"ミリメートル"単位で練習を区切り、何度も何度も繰り返す粘り強さだった。「初めてのオーケストラでは指揮者、楽員がお互いをよく知る必要もあるので、コミュニケーションの確立に時間を費やす」との方針の反映でもある。客席からは「なぜモーツァルトやベートーヴェンではなく、マーラーを初共演に選んだのか」という質問が出た。ハーディングの答えは「モーツァルトでは奏法ひとつにもピリオド、折衷、モダンといった幅広い可能性があり、マーラーに比べれば、双方の方法論を一致させるのに時間がかかる。短期間の客演、しかも初共演でいきなり古典派を手がけるのはリスクが大きい」と、極めて明快だった。

逆に言えば、長年のパートナーであるマーラー・チェンバー・オーケストラとの日本公演なればこそ、会心のモーツァルトを演奏できるとの判断が可能なのだ。作曲家生誕250年の夏、生地ザルツブルクの音楽祭で「ドン・ジョヴァンニ」を指揮して約1ヶ月後、ハーディングが日本で指揮するモーツァルトには、練り上げられた共同作業の成果が期待できる。同行するピアニスト、ラルス・フォークトもラトルの薫陶を受け、アーノンクールを崇拝する若い世代の音楽家であり、素晴らしいモーツァルトの独奏曲のCDを出したばかり。単なる独奏vs管弦楽という協奏曲のステレオタイプを廃し、高次の美意識が一致した共演となりそうだ。

池田 卓夫 (日本経済新聞社文化部編集委員)
音楽の友 2005年11月号

ダニエル・ハーディングの熱い夏-新世代指揮者のリーダー快進撃

音楽監督を務めるマーラー・チェンバー・オーケストラでの活動を中心に欧米の主要オーケストラやオペラでの活躍ぶりは破竹の勢いの指揮者、ダニエル・ハーディング。昨年12月にはマーラーの交響曲第10番でウィーン・フィル・デビュー、今年12月のミラノ・スカラ座新シーズン・オープニングの《イドメネオ》をまかされ、さらには2006年にロンドン交響楽団首席客演指揮者、2007年にスウェーデン放送交響楽団音楽監督就任が決定するなど、今後の展開からも目が離せない。各地の音楽祭での演奏を中心にハーディングの夏を追った。

ルツェルン音楽祭-颯爽としたブラームスへの歓声

クラウディオ・アバドの薫陶を受けて育った若手演奏家たちからなるマーラー・チェンバー・オーケストラが、2003年の秋、創設(1997年)以来初の音楽監督に招いたのが、1976年イギリス生まれのダニエル・ハーディング。アバドが「天才」と呼び、サイモン・ラトルが「同世代の最も偉大な才能」と呼ぶ、いま最もエキサイティングな若きマエストロである。以来、彼らの活躍ぶりは、日本の音楽ファンにとっても、来日公演やディスクですでにお馴染みのところ。

今年のルツェルン音楽祭でも、ハーディングと彼の手兵、マーラー・チェンバー・オーケストラは、ルツェルン・カルチャー&コンヴェンション・センターに、活力にみちあふれたフレッシュな演奏を響き渡らせた。


8月14日はシェーンベルクの「室内交響曲第2番」とマーラーの「交響曲第4番」というプログラム。筆者の聴いた8月19日の演目は、まず最初が、エルガーの作品から、魅惑的で内省的な「ヴァイオリン協奏曲」。ソリストは、元ベルリン・フィル第1コンサートマスターのコーリャ・ブラッハー。楽曲への真摯な眼差しを感じさせる快演を聴かせた。ハーディングの指揮はすっきりとして切れがよく、それでいてエルガーのロマンティシズムを過不足なく表出しており、とても印象的であった。

ガラス張りのロビーから、雨にけぶるルツェルン湖の夜景を眺望しながらの休憩を挟んで、プログラムの後半は、オーケストラの編成を大きくし、低声部を受け持つ弦楽器群を舞台の上手から下手へと配置換えして、ブラームスの「交響曲4番」を演奏。

昔から、このホ短調交響曲は、老境に達したブラームスの孤独感や苦渋、苦悩、諦観が込められた曲として論じられることが多いが、ハーディングの指揮は、そうした既成概念に縛られていなかった。それは第1楽章の出だしから明らかで、悲嘆や諦観というより、作品に秘められた美しい情感を、ニュアンス豊かな響きで音化し、楽譜にあるがままの姿で再現していた。ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンを指揮してブラームスの「交響曲第3番、第4番」を録音したCDで、バランス感覚に優れたエネルギッシュな演奏を聴かせてくれたハーディングが、ルツェルン音楽祭でのこの夜も、マーラー・チェンバー・オーケストラを意のままに動かしながら、楽想の的確な表現と結ばれた絶妙なテンポで、自在な柔軟性と推進性に富んだ、真摯で、あたたかみのある演奏を颯爽と繰り広げて魅力十分。世界で最も注目を集め、最も成功している若きマエストロとオーケストラを、満場の聴衆は熱い拍手と歓声で讃えた。

横堀 朱美

エクサンプロヴァンス音楽祭-シェロー演出の《コジ》ほか

ダニエル・ハーディングが1994年に19歳という若さでバーミンガム市交響楽団を指揮してデビューしたとき、隣国のこととは言えフランス音楽界の驚愕は計り知れないものがあった。それだけに、フランス・デビューとなる1998年のエクサンプロヴァンス音楽祭での《ドン・ジョヴァンニ》では、前評判に興味津々だったファンたちが、期待を裏切らなかった早熟の頬をバラ色に染めたハーディングに安堵を覚えるとともに喝采をおくるのをためらわなかった。このとき、歌手、オーケストラの若さを巧みに利用して、初々しく魅力豊かなスペクタクルとして相応の水準にまで引き上げたハーディングの手腕には瞠目されるに充分値する「なにか」があることをフランス音楽界が認めることになった。この成功により音楽祭に毎年招聘されている。

ハーディングは音楽の分析に優れてはいるが、音の炸裂でドラマティックなインパクトを聴衆に与えるタイプの指揮者ではない。その点では、音の運びと重なり合いがどのような効果を生むかを、冷静な音楽的判断と沈着な指揮法が正統的な音楽を探求しているかのように思える。したがって音楽の芝居っ気が乏しい、劇的な驚きが少ないと評されることもままあるが、しかし我が音楽道を進むタイプの指揮者なのだ。それはバスティーユ時代のチョン・ミョンフンが劇的で爆発的な表現を回避し、クリアな音色を求めて自分のスタイルを決める成長期だったのと同じような印象を受ける。

昨年のエクサンプロヴァンス音楽祭で指揮した《椿姫》では、くどくどしいヴェルディの劇的さを省き、非常にスマートな演奏で演出を引き立ててもいた。今年は5つあるオペラ上演のなかでも最注目作のパトリス・シェロー新演出の《コジ・ファン・トゥッテ》を指揮。マーラー・チェンバー・オーケストラの生き生きとした演奏とともに、しなやかなアンサンブルを作り上げていた。もっともモーツァルトへの音楽解釈においては演出のシェローと合意できなったようにも感じられた。また、オーケストラ・コンサートでは、マーラー・チェンバー・オーケストラを指揮してマーラーの交響曲第4番を演奏。昨年リリースされたCDでもみずみずしい演奏が高く評価されたこの作品は、この夏マントン、ルツェルンなどの音楽祭でも取り上げている。

吉田 真澄
音楽の友 2005年3月号

現在、注目している演奏家を3人だけというのは、かなりつらい選択だったが、半世紀ほど前にいつも音楽のすばらしさと奥の深さを教えられたトスカニーニのレコードが出るのを待望していたように、この数年来、新録音が出るのを最も楽しみにしている3人を選んだ。まずハーディングは、あの衝撃的だった《ドン・ジョバンニ》やベートーヴェンの序曲集から最近のマーラー「交響曲第4番」まで、次にどんな曲が登場しどんな演奏を聴かせるのかまったく予想などできず、しかもどの演奏も新鮮な驚きと魅力が溢れていて、久しぶりに登場した本当の天才だと思う。ともかくハーディングの演奏でいつも感心するのは、リズムやテンポの抜群のセンス、そして何よりも耳がよいことだ。すでにデビューして10年になるとはいえ、まだ30歳、ラトルが同じ年齢だった頃をしのぐ活躍ぶりだが、指揮者としてはまだまだ駆け出しといえるほど若く、未知の魅力もいっぱいである。だからハーディングにはこれまで同様、既成の枠などにはまることなくわが道を進み、思う存分の活躍を望みたいものである。

浅里 公三
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